super sonic body


 連日の猛暑が続いていて、つり革につかまりながら車窓の流れる景色を眺めていると、海に行きたいななんて考えちゃう。水着でビーチなんて、実際のところはもう何年も行ってないんだけど。思い出の海辺は、ヒット曲が爆音で垂れ流しのイメージで、TSUNAMIなんかも悪いスピーカーから音が割れて出てきて肌に突き刺さるような、そんな皮膚感覚の音で覚えてる。

 爆音と言えば、若い時分には稀にだけどクラブなんて場所に足を運ぶこともあったななんて、渦を巻くような重低音だらけの場を懐かしく思い出したりする。あの内臓が揺さぶられるような空間は、もはや老体の僕には耐えられないような予感であって、若いときにしか体験できない音楽ってもあるよななんて考える。今行ったら、普通に気分が悪くなっちゃうんだろうな。

 爺になった僕はコンサートホールでオーケストラを聴いちゃったりするんだけど、訪問するたびに「体育館とは違うのだよ、体育館とは」とか考える。当然なんだけど、コンサートホールは音を聞かせるように設計されていて、全身が音に包まれるような、そんな快感があるよね。全身で音楽という情報を受け取る気持ちよさというか。情報量の多さが快楽に繋がると言うのも不思議な感じだけどね。

 教会でパイプオルガンを聴いたりするのもいいよね。上から音楽が降ってくるような感覚というのは独特だなっていつも思う。目を瞑って曲を聴いてると、不思議な浮遊感があるというか、愚息も昇天というか。教会の天井が高いのは、神父の説教を天の声と錯覚させるような効果を狙ってのことと推察するけど、僕が南仏あたりの素朴な農夫だったりしたら、そりゃ入信しちゃうかもしれないって気にはなるね。汚いなさすがローマきたない。

 そこまで非日常な事例でなくても、僕が映画館に行ったりするのは音響を期待してのことが多い。最近のシアターは音響に力を入れてるところも増えたもんね。ホームシアターも悪くないけど、都内では出せる音量に限界があるし、スピーカーはやはり大きければ大きいほど、音がしまるし。特に低音部。銃声とかヘリコプターの音とか、そういうのって映画館で聞くとはっとしちゃう。

 僕がなるべく練習室でピアノを弾こうとするのも、同じ方向の目的があって、練習の最初にポジションを確かめるためにCを思いっきり叩いてみた時なんかに特に、あーリバーブレーションってこういうことかあと、減衰するまでの時間をうっとりしてみたりなんかする。音響効果の良いホールでピアノを弾くと、自分がすごく上達したように感じるよね。錯覚なんだけど(笑)

 という感じで、「音楽は耳だけで楽しむものじゃないよねー身体でも楽しむものだよねー」ってだけのことを長々と書いてみた。「今の時期の海はクラゲだらけですよ」とツッコミをくらいそうだけど、マジレスだけは勘弁な! というわけで、ピアノのレッスンに行ってきます。こんな文を書いてる暇があったら練習してから来いと先生には怒られそうだけど、僕は文字の人なのでね、うふふ。