はるかぜどりに、とまりぎを。

一言で感想を述べるのなら、職人が伝統の製法で作り上げた作品ってことになるんでしょうかね。今日は時間があるんで、以下、クダラナイ雑文をば。軽くネタバレありです。

数学の言葉を借りれば連続と離散になるのでしょうか。エロゲにはゲーム内の時間が繋がってるように感じられるものととびとびになってるように感じられるものの2種類があります。この文では前者を連続ゲー、後者を離散ゲーと呼ぶことにします。数学用語を使って感覚言語かよとのご批判もありましょうが、他に良い言葉が思いつかないので勘弁いただきたい。(注1)

エロゲ界の歩みを振り返れば離散→連続という風に変化してきたように見えます。そもそもがポルノメディアであるエロゲはエロい絵を勿体つけるために添え文があったとも言えます。AVのインタビューシーンみたいなもんだね。AVGという形式をとるようになってもその文章量は限られたものでありました。(注2)

転機が訪れたのは思い出すのも腹立たしい'89年の宮崎事件と'91年の沙織事件ですね。'91年の弾圧は特にひどいもので、余波でコミケが幕張から晴海に移ったほどなのでした。おのれ千葉県、百代祟っても許すまじ。エロゲ会社も捜索されたり逮捕者を出すに至り、エロゲをポルノメディアから変化させて人間愛とかそういうエクスキューズを挿入することを考えねばならん事態となったわけ。(注3)

だがしかし。逆境はチャンスとはよく言ったもので、'92年には「同級生」が発売となるのです。パチパチパチパチ。このゲームにおける恋愛は今から思えば明らかにエクスキューズであったのですが、離散するイベントに僕らは純愛を感じ取ったのでした。好感度というパラメータを使って恋愛を数値化するという発想。恋愛という怪物を手のひらの上で飼いならすという偉業を僕らエロゲヲタは成し遂げたのだ! この一歩は人類にとってはどうでも良いがエロゲヲタにとっては偉大な一歩だ。

だけれども、幸福な時代は長く続かないもので、恋愛がエロゲヲタに牙を向く時がやってくるのでした。ついに'97年に「ToHeart」の発売がされるのであります。ああ、どうしてどうして僕たちはマルチに出会ってしまったのだろうか(注4)。高橋の秀逸なテキストによって萌えを憶えてしまったエロゲヲタは、ある時突然に画面の向こうの美少女の立ちグラの頬が赤くなるという程度では満足できなくなってしまったのでありますよ。(注5)

連続する時間の中でヒロインの気持ちが漸進的に主人公(つまりはプレイヤー)に傾いてくるってのを味わうことを憶えたエロゲヲタ達はメーカーに対してもっともっとトキメキをと求めていき、連続ゲーの時代が来るのです。その鬼子というべきものがねこねこさんの「みずいろ」でありましょう。正統後継者はKEYの一連の泣きゲー。これらがエロゲ界を席巻した功罪は未だに論争となるところでありますが、今は割愛で。

ただ、連続ゲーというのがエロゲ界においての畸形的発展であることは胸に留めておかねばなるまいでしょう。普通の小説読みがこの手のゲームをやると、「どうして朝起きてから夜寝るまでをくり返しくり返し毎日毎日冗長に叙述するの?」と聞いてくるのでありまして、「そりゃお前、そういう形式のメディアだからだよ。俳句はなんで五・七・五なの?と聞いてるようなもんだよ」と僕は適当に答え、「これだからヲタセンスの無い愚民は困る。エロゲは選ばれた人間だけがプレイできる神機なんだよ。死ね、クズが」と心の中で考えたりするんで、僕は友達が少ない人生を送っております。押忍。

ああ、話が脱線しました。隙間なくみっしりとした表現を好む現在のエロゲヲタに応えていこうと思えば、テキスト量とCG量は増えていく一方です。それはそれで喜ばしいことですが、独りのライターや絵師が生産できる量にも限界があるのも事実です。独りで突き通そうとすれば竹井学長のようにゲームが4年に1度になってしまいますし、複数ライター&複数絵師制度を導入するとヒロインによって仕上がりのばらつきが生まれます。多少の不突合は気にしない僕でも、ルートで明らかに性格や口調まで変わったりすれば興ざめであります。

そこで、です。やっとSkyFishの話となるわけですが、「はるかぜどりに、とまりぎを。」は実はそれほどテキスト量もCG量もないのです。しかし、ゲームをやってるとそうは感じません。離散する世界をうまく使って、少ない素材でゲームとして成り立たせてるのは流石ってもんでしょう。これが熟練の技術ってやつか。やるな>ひろもりさかな&素浪人。

ゲームの骨格は初代naturalの焼き直しと言い切っちゃっても構わないでしょう。あのゲームが千歳ルート以外はおまけ状態だったのと一緒で、今回も春音と中家志穂の演技が気に入らなきゃ地雷同然でしょう。僕は幸いにして大丈夫でしたが。近未来設定が役に立ってなかったりヤったら死んだりするのはFC03だからってことで無問題(ヲイ

若いエロゲヲタがこのゲームをプレイしたときの感想が「イベントを並べただけのゲーム」ってのになるだろうことは予想できるんですが、それだけで終わらせるのはもったいないとおもったので、古ヲタの見地からちょっと駄文を書いてみたのでした。エロゲ界がビッグゲームとシチュエーション特化のお手軽萌えゲーだけになったら、僕は間違いなくエロゲヲタ引退だからねえ。SkyFishのようなブランドは大事にしたいところです。

シナリオがどうこうというところで評価するゲームではないのですが、離散ゲーであることを逆手に取ったような最後の演出、世界が塗り変わっていく様子は見ててちょっと感動しましたので、その辺は老舗の底力ってもんですかね。ともあれ、ゲーム内の雰囲気がよかったのでノリノリでコンプできたのは良かったです。

そんなわけで、これからのSkyFishに期待しつつ、ソレイユもやってみようかなと思っております。(了)


(注1) シナリオゲー/イベントゲーといった語を使っても良いのですが、もはや垢にまみれて余計な想像を惹起しかねないので、耳慣れない語をあえて使用してみるのです。まあ、その言葉自体はあんまり本題と絡まないんですけど。絡まないのかよ。

(注2) これはDOSゲー時代の媒体がFD(ファンディスクじゃないよ?)であったことが一因でもあります。テキストに容量制限があったりしたんだよ。信じられなかったら、あの頃のHDDニイレルゾ.DOCでも読め。

(注3) アダルトゲームを美少女ゲームと呼びかえる動きがあったのもこの頃ですね。もしくはXゲームとか。いつのまにやらエロゲーってのが定着しちゃいましたけど。

(注4) いや、僕は葵派ですけどね。あと、東鳩については先行する「雫」「痕」に比べるとイベントゲーに逆行してるという批判も根強かったことは書き添えておきます。ゲーム性論争の走りもあの頃にありました。色んな意味でエポックメイキングなゲームであることは間違いないですわ>東鳩。CD-ROMの普及によって容量の心配がなくなったのもこの頃ですね。

(注5) この文脈でときメモがどうして売れなくなったのかも説明できますね。